森永製菓の歴史を読んだんだけど、この創業者である森永太一郎という人はものすごい。1865年生まれで、なんと1888年(明治21)に渡米。そこで挫折を味わい公園で子供が捨てたミルクキャラメルの包み紙を見て、「これを日本で売ろう」と決意したらしい。今の感覚ならすぐにお店に修行して日本に持ち込めるだろうけど、当時は日本人雇ってくれるところがなく、関係ない力仕事などに従事しながらも、やっとキャンディ工場に勤めることができた。そこでパンやケーキの作り方を知りたい一心で差別も受けながらも必死で頑張った。
そして洋菓子の製法を身につけた太一郎は1899年(明治32)に帰国。太一郎32歳のことだった。そこで米国仕込みのマシュマロを製造する。しかし、なじみのない洋菓子を扱ってくれる店はなく、太一郎自身がガラス戸の箱車で行商した。
ちなみに森永の羽をはばたかせ大空を翔るエンゼルの商標だが、これはマシュマロが米国で「エンゼル・フード」と呼ばれていたことに由来するらしい。
そして1905年に支配人に10歳年下の松崎半三郎を迎える。松崎は森永のミルクキャンディの原材料を扱っている貿易会社を経営していたが、太一郎の三顧の礼を受けて、自分の会社をたたみバラック建ての森永西洋菓子製造所に入社。松崎の株式会社にするという入社条件に従い、1910年(明治43)に株式会社森永商店を設立。二年後に森永製菓に改称。
日本の成功する企業によくある通りにこの製造の太一郎と販売の半三郎のコンビで大いに売れた。その森永製菓は今に至る。そして、この二人の縁戚関係になるのは孫の代で、太一郎の孫・恵美子と半三郎の孫・昭雄が結婚し、その長女が昭恵で安倍晋三元首相の「アッキー」こと昭恵夫人である。
そんなわけで今でこそパティシエが外国で修業とは言うがその道をがむしゃらに切り開いた森永太一郎という人物を知ってもらいたい。明治にはこんな豪胆な連中がごろごろいる。日本は実に面白い。
参考書籍「
創業家物語」
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