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もうじき今年も終わりかぁ

朝刊
12 /29 2015
 今年は色々あったような気もするけど、なんか早かったというか何があったのかよく思い出せないと言う感じ。歳のせいか、テレビ番組みないせいか、ニュース的な話題のものしかよくわからないし。まだAKBとか流行ってるのかねぇ。そういやそういうポップカルチャー的なもので流行りが無くなったというか。スマホのせいだという感じもするけど、最近ではスマホにも飽きつつある感があるし。情報を見るという使い方だけでしかスマホを使わなくなったというか、ゲームまでやる気もないしねぇ。なんかスマホゲーのスタミナ消費に合わせる生活になってくるとイライラして消してしまうし。
 今年は映画とアマチュア演劇を本当によく観たけど、やっぱりリアルな空間と体験は素晴らしい。この次が見えない状態も不安だったけど、案外じわじわと色々なものや状態条件が変化してるのはどこに向かっているのかわからないけど、手探りでも進んでる感じがして面白い。ハロウィンイベントは大盛り上がりなのに対してクリスマスはメディアもスルーという異様さも新鮮だったし、ラジオリスナーがクリスマス前で別れて寂しいけどラジオ聴いてますとかクリスマスだけど仕事ですとか、クリスマスにちゃんと寂しがってる方が恥ずかしい感じが出てきてるのが面白い。もともとキリスト教と縁の遠い日本でメディアが煽らなければクリスマスなんか無くてもただの平日になってしまうわけだ。大晦日や盆のような息の長いイベントはメディアが何もしなくても生き残るが恋人達のイベントとしてカスタマイズされてしまったクリスマスはその恋人特化し過ぎて、本来の聖夜の意味が無くなっているし、何がめでたいのかもわかりづらい。しかも本来の意味を知れば知るほど馬鹿騒ぎする方がマヌケに感じてしまう。アメリカ人がお盆を恋人達が過ごすイベント化してしまう感じか。お盆をオボンにしてイエーイエー言ってたら気持ち悪いし、現地の人間も意味を知り始めたらバカらしくなるわけだ。
 メディアによるイベントの洗脳力が一気に薄くなった感じがする一年だった。でもこれくらいの洗脳力であればこそ地元だけの祭りやイベントが生まれた昔の日本の感覚がわかる。多分、メディアの洗脳力がもっと薄くなったら、地元だけの祭りイベント系が地方で流行るんじゃないかと。最近、人は人が集まるところに行きたいと思ってるようだ。最近特に人生とはコミュニケーションだと感じるよ。ネットは文字によるコミュニケーションに特化してどこの誰とでも意思疎通が出来る。でもそれも会えなかったりして虚しかったりする。もっと気軽に会える人間関係はやっぱり地元の人だったりする。ネットで広い人間と連絡がとれたりするような世界を体験した結果、結局地元が重要だと気付かされるのは皮肉なのかなぁ。

黒崎銀二

Twitter:Ginji_k
この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
ええ、フィクションです。
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福澤桃介と金子直吉の評価の低さを憂う。
2007年8月31日開設
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