華麗なるギャツビー観たけど、まあこの邦題はやっぱりしっくりこないね。グレイトギャツビーの方がいい。グレートでなくグレイト。
まあ、そんなわけで個人的には評価の高いレオナルドディカプリオの主演だけど、まあ見事と言った感じ。なんか妙にはまり役というか、それに合わせる事ができるし、何よりギャツビー自身がディカプリオと重なって見える。デイジーを追い求めて、莫大な富よりもその一人の女性に執着するのは、なんというか男性の性を見事に表現してる映画だ。なによりあのデイジーがディカプリオのアカデミー賞にも重なって見えてメタ構造になってるというか。ディカプリオは本当にアカデミー賞から無視されてるよね。
なによりこの作品は物語の冒頭の豪華展覧のパーティーシーンやらセレブ感たっぷりなシーンに価値がある。あんなに不景気不景気と言われててもこれだけ豪華なシーンを良く撮れたなと思う。さらにこの映画の監督はあのムーランルージュの監督なだけあって、豪華展覧のシーンは見事の一言。あのシーンだけでも観る価値はあるだろうというか、あんなパーティーシーンはそう何度も観られるもんじゃないだろう。ハリウッド映画といえども。
まあ、この映画はギャツビーがデイジーを抱くシーンよりも、ギャツビーがデイジーと再会に緊張するシーンや、豪華展覧なパーティーを毎夜行い、人が埋め尽くしてる城のシーンはすべて前座。本当はこの城にデイジー一人をギャツビーが少年のように自慢するところの多幸感を強調するための豪華なパーティーシーンだったりする。この落差とギャツビーの人がいないのに幸せ一杯の表情は見事というか、まさにこの表情の為にこの映画はあるのだろう。あと、棚にたくさんある服をこれでもかとデイジーに投げて喜ばすシーンのギャツビーの嬉しそうなこと。まさに男の欲望とはここなんだろうと思わされる。好きな女をこれでもかと喜ばせたいという欲望が原動力でお金や名誉を欲しがる。まさにギャツビーの人生はこれを地で行っていた。たくさんの人が詰めかけるパーティーにはなんの興味もない。ただデイジー一人が喜んでくれる事に幸せを感じる。
なんだか漠然と大金が欲しいという人は多い。だからなぜそれが欲しいのかと問うとろくな答えが返ってこない。そう、みんな何かしたいことがあるわけでもなくお金が欲しいのだ。ではもしも大金を手にしたら?あなたは満たされますか?という答えをギャツビーが教えてくれてるように思う。男は特に大金よりもたった一人の女が重要だったりするということを見事に風刺もこめて表現してる映画だと思う。あとこのギャツビーがディカプリオの人生と重なりすぎて、そこに悲しさを感じる。この映画もアカデミー賞は美術賞とかなんだろうなぁ。