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体罰が問題になってるね

朝刊
01 /25 2013
 学校教育の中の体罰が問題になってる。まあ、当然と言えば当然というか体罰という異様な形式の異常さに日本人が気付き始めたことが驚きだ。
 前々から思ってたけど、日本の学校教育はどこか教育と違うところが気になってた。基本的に日本の学校というか文科省管轄の学校は基本的に軍人学校臭が漂ってた。そもそも小学校に入学した時に背負うランドセルも軍人鞄だし、学ランやセーラー服などセーラー服は可愛いの象徴になっているものの、本来は両方とも軍服だ。そう、要するに日本の学校とは知りたいことを自由に学ぶ事を目的とした学校と言うよりも軍人学校を学問を学べるように形式を変えたと形とでもいうのか。
 軍人学校が元であると仮定した場合、日本の学校の異質さは大抵説明が付く。やたら運動会やらなんやらでマスゲームをやらせたかったり、整列させたり、当然体罰も軍人学校であれば普通にあることなわけだ。もしもアメリカの学校で日本と同じ事をしてたとして客観的に観た場合、気持ち悪さを感じるのではないだろうか。アメリカのティーンが同じ服装に同じ髪型。女子は三つ編みとか決められたりとか。スクールというよりも士官学校に見えるんじゃないだろうか。
 一度日本はそもそも教育という物を士官学校の発想でないところから、一から組み立てた方がいいだろうけど、そんな士官学校を優秀な成績で卒業して、官僚になった人達の頭の中に軍隊形式の学校以外の学校が作れるかどうか気になるところだ。
 はっきり言って日本の学校は軍人育成施設のようで学校といえるのかどうか。その流れで大学受験とかあったりと、軍人学校の中にしかいなかった子どもが将来を決めろと言われても、世の中にどんな仕事があるかどうかなんてわかるわけもなく、どんな知識が必要かなんてわかるわけもない。この年になってみてわかるのは高校卒業してからすぐに大学行っても大学で教えてることのありがたみなんてわかるわけもない。逆にこの年になってこそ大学でもう一度勉強したいと思っても、大学行くには受験しないといけないわけだ。大学なんて行きたい奴が行きたい時にいつでも行けるのが理想で、官僚を崇めるように洗脳するために絶対に死守する受験制度のせいでこうした大人になってから、今すぐに専門的な知識が必要な人を排除するという矛盾した形になってる。
 教会は扉をいつでも開けているというが、大学こそそうであるべきではないかと思う。

黒崎銀二

Twitter:Ginji_k
この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
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